新津の有名人

※ 順不同&故人を含む


坂口 安吾

坂口安吾の本籍地は新潟県中蒲原郡阿賀浦村大字大安寺第十一番戸(現 秋葉区大安寺509番地)です。

明治39年 1906年10月 新潟県新潟市西大畑町で父坂口仁一郎、母アサの五男として生まれる。  
明治44年 1911年 4月 西堀幼稚園に入園  (6歳)
大正2年 1913年 4月 新潟尋常高等小学校に入学 (8歳) 
大正8年 1919年 4月 県立新潟中学校に入学 (13歳) 
大正11年 1922年 9月 県立新潟中学校を放校、東京の豊山中学校に編入(17歳)

新津は坂口安吾の父祖の地で、大地主だった坂口家は阿賀野川の治水などで巨万の富を築いた。
坂口安吾も「石の思い」で、かつての坂口家を「徳川時代は田地の外に銀山だの銅山を持ち阿賀川の水がかれてもあそこの金はかれないなどと言われたそうだが」と書いている。


中野 寛一

中野貫一 なかの-かんいち 1846−1928明治-大正時代の実業家,政治家。
弘化(こうか)3年9月8日生まれ。明治7年手掘りで石油採掘をはじめ,生地の新潟県蒲原(かんばら)地方を中心に油田開発に成功した。中央石油,中野興業の社長。晩年は中野財団をもうけた。衆議院議員(当選2回,憲政会)。昭和3年2月25日死去。83歳。幼名は弘平。号は鶴堂。
現在、中野家の邸宅と庭園は中野邸美術館として開放されていて、特に秋の紅葉シーズンには多くの人が庭園(もみじ園)を訪れている。
新津地域、特に金津周辺では、「東京都中野区は、中野様が広大な土地を所有していたが故に中野区という名前がついた」というウワサが信じられていますが、残念ながら、史実は違うようです。



吉田 千秋
吉田千秋 よしだ ちあき は明治28年(西暦1895年)2月18日に新潟県中蒲原郡小鹿村大字大鹿(現・新潟市、旧新津市)に生まれた。
大正4年、雑誌「音楽界」8月号に「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」を発表した。24歳で永眠。

父親は歴史・地理学者であった吉田東伍で、千秋は次男である。ちなみに兄は春太郎、妹が小夏、弟が冬蔵、その後に生まれた妹は、梅とあやめである。千秋誕生時は日清戦争の最中で、父東伍は読売新聞の従軍記者として軍艦「橋立」に乗船中であった。


昭和46年、歌手加藤登紀子が歌った「琵琶湖周航の歌」が大ヒットした頃、作詞・作曲者が不明、ないしは共に小口太郎と楽譜等に記載されていた。その頃「本当の作曲者は誰なのか」ということへの関心が関係者の間で高まっていた。    
 昭和50年頃「琵琶湖周航の歌」の原曲は「ひつじぐさ」という曲であると判明。さらにその5年程後には、その作曲者が吉田千秋という人物であることが突き止められた。しかし、人物像は全く不明であった。「幻の千秋」と言われながら時間だけが過ぎて行った。    
平成5年、今津町では「琵琶湖周航の歌」開示75周 年の記念事業が「幻の千秋」のまま準備されていた。    
  そのさなか、「吉田千秋は大正4年に東京から新潟に 転居している」との手がかりに「作曲家の消息を教 えて」の記事を新潟日報に載せ、最後の望みを託した。
 
 その記事が、千秋の父親吉田東吾博士の研究者の目に止まった。
「東吾博士の二男に間違いない」。歌が歌われてから75年目の夏、その時、吉田千秋が初めて世に出たのである。

・明治28年2月18日 旧新津市大鹿に生れる           ・明治30年  2歳   父の元へ上京
・明治34年  6歳   小学校入学 大 鹿へ転校
・明治45年 17歳   東京府立第四中学校卒業 東京農業大学予科入学
・大正3年  19歳   病気の為退学
・大正4年  20歳   帰郷 「ひつじぐさ」訳詩作曲 「音楽界」 に発表


秋葉区大鹿 吉田千秋の生家 
・大正6年  22歳   大鹿教友会(キリス教)で賛美歌指導 
・大正7年  23歳   方言研究、父東伍死去
・大正8年2月24日   24歳で死去  

   

大寿山

太寿山 忠明(だいじゅやま ただあき、1959年4月8日 - )は、新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士。最高位は関脇。
身長183cm、体重159kg。
本名は坂爪忠明(さかづめ ただあき)。得意手は右四つ、上手投げ、うっちゃり。
幼少のころから柔道を習い、小学校5年で初段を取得したが、その反面走るのが遅く上体格が大きくて目立つので、学校の運動会が近づくと「運動会のない国に行きたい」と思っていたという。
引退後は年寄・花籠を襲名、花籠部屋を再興して後進の指導にあたっている。2008年3月場所より審判委員を務める。

増山 由美子

増山 由美子(ますやま ゆみこ、1959年2月12日 - )は、新潟放送 (BSN) に所属するアナウンサー。

新潟県新津市(現新潟市秋葉区)出身。新潟県立新津高等学校を経て日本大学芸術学部映画学科卒業。大学生時代には8ミリ映画製作にかかわり、自ら主演したり撮影監督を務めるなどした経験から、マスメディアを志望する意識が高じていくこととなった。

1981年、新潟放送にアナウンサーとして入社。テレビ「朝のホットライン」(TBS系全国ネット)では1982年から新潟地区のリポーターを務めた。また、ラジオ「ハロー!!ジャンボサタデー」では同期入社の鍵冨徹とコンビを組んでパーソナリティを務めた。以降、主にラジオを中心に活躍し、その後ラジオ局編成制作部長代理等を経て、現職の報道制作局情報センターアナウンス担当部長となった。

1999年からラジオ・土曜朝の生ワイド番組「ブランチバスケット」のパーソナリティを務めた。2009年春を以ってラジオパーソナリティとしては第一線を退くことになり、同年3月21日の最終回、BSN本社のラジオ第1スタジオで公開放送を実施。多くのリスナーが詰め掛け、エンディングでは涙する一幕もあった。



高野 文子

高野 文子(たかの ふみこ、1957年11月12日 - )は、日本の漫画家。
新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身。看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。
従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、大友克洋やさべあのまなどとともに漫画界の「ニューウェーブ」の旗手と目された。
デビュー30年で単行本6冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と斬新な演出方法、一読では読み取れないような深い心理描写などから[1]読者の厚い支持を受けている。

夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山は奇譚社の発行人として、大友克洋の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『おともだち』(1982年)を刊行している。


近野 宏明

近野 宏明(こんの ひろあき、1972年8月16日 - )
新潟県新津市(現:新潟市秋葉区)出身、日本テレビの報道局政治部所属の報道記者、ニュースキャスター、防災士。かつては社会部に所属していた。血液型はO型。

身長181cm。
高校時代のあだ名はコンコン。新潟県立新津高等学校、早稲田大学第一文学部日本近現代史専攻卒業。
1995年日本テレビに入社、報道局社会部に配属される。福澤朗の7年後輩にあたる。
報道一筋で2001年にキャスター室兼務となり、NNNニュースプラス1・サタデー、ズームイン!!SUPER、デイリープラネット金曜発言中など様々な情報・報道番組のニュースキャスターとして出演した。
そして、2005年4月4日から藤井貴彦アナウンサーの後任として『NNNニュースプラス1≪後のリアルタイム≫』のメインキャスターを務める。報道記者として積極的に現場に向かい現状リポートを行っている。
高校3年生の文化祭の時、着物を着て落語を一席した。
矢島学アナ、魚住りえ(現・フリー)、町亞聖記者は同期。書道5段なので字がうまい。
絵もうまい。
おニャン子クラブのファンらしい。
甘いもの、歌舞伎、乗り物(鉄道、飛行機、車も)が好きである。
特に、鉄道には熱く、NNNニュースプラス1の取材でやった時刻表検定試験3級の資格を持っている。
そして、2006年11月17日より、駅探サイト内のコーナー「近野宏明 乗りもノート」を始めた(駅前探険倶楽部:プレスリリース、プレスリリース@日テレ、その日のキャスターブログ)。
第2日本テレビ・タイムマシーン屋との連携も期待される。また、「リアルタイム」での鉄道、航空、自動車に関するニュースは自ら読んだり、取材に行くことが多い。
報道キャスターという立場から真面目そうな人と思われていることが多いが、趣味が「アイロン掛け」など意外な一面を持つ。
また、『ラジかる!!』の『先出し!プラス1』では岡田圭右から自らのギャグを(勝手に)教えられたりと面白い一面を見せている。
腕時計は、ブランドもので約20個持っていると告白した。
バレンタインデーのチョコを結構もらったらしい。物真似もできると、4月28日のキャスターブログ(映像)で、明らかにしていた。
リアルタイム番組内で、はんにゃとのコラボ取材を敢行した際、ずくだんずんぶんぐんゲームでの奇妙な動向(本人は至って真面目)に、金田哲から敵わないと絶賛された。
グレープフルーツが好物である。
防災士の資格を持っている。
2010年3月26日を以てキャスター業からは一旦離れ、政治部記者として現場復帰する。